川崎アタッカーズ初の男子チームを作り、先日、全国スポーツ少年団バレーボール交流大会への出場権を獲得しました。
残念ながら女子チームは、2回戦敗退でしたが、ただ負けない試合をして、完全燃焼した感動あふれる試合をしました。
ここまでくるには、たくさんの力が必要でした。
川崎アタッカーズは、2021.10月に活動を再開した後今年の8月まで混合チームとして活動をしてきました。
夏の全国大会での活躍は感動でした。全国5位です。
そして、10月の東北選手権大会は優勝。東北制覇を成し遂げました。
私は、夏の全国大会の前から9月からは、男子と女子チームに分ける、と決めていたものの、次々と乗り越える壁がありました。
一番は、子どもたちの戸惑い。私のこころの揺らぎ。
夏の全国大会は全国制覇を目標にしていたし負けたことや全国大会の素晴らしい経験から、一言で言えば“ふぬけ”になってしまった私、子どもたち。何をやっても上手くいかないような感覚で日々を過ごしていた時間がありました。
子どもたちと私が擦り合わない感じ、親との亀裂、三位一体の仕組みが崩れてしまう、私が崩してしまったのか、と思うような時期がありました。
そして、女子チームの技術レベルの低さ。これは、チームビルディング上困難なレベルでした。
それでもあきらめなかった。
練習日を増やし、必死に練習。基本のパス、レシーブ、サーブ、スパイク。上手くなるまでかかります。同時に試合中の判断や動きを学んでもらう。
とても時間がかかる作業でした。
やはり、10月の東北大会が終わってからの2ヶ月そこそこでは県大会では勝てませんでした。
私は、私がただ勝ちたいのではなく、子どもたちがなりたいと願うことを叶えてあげたいだけ。
子どもたちが全国大会に行きたい、と私の目の前に立つ。だからこそのチームビルディングです。
遡っての2023.4月に、6年生が4人入団しました。さらに下級生も複数入団してくれました。
この時点では男子と女子で無理すれば登録はできたかもしれません。
悩みました。どうやって子どもたちを活かすか。
今までチーム再開後2人や4人しかいない状況からがんはってきた子どもたちを思うと、まさか新チームで男女には分けられなかった。
入ったばかりの子どもたちでチームを作り上げる自信もないし、指導者もいなかった。いろんな条件や要件をクリアできなかった。
それでもみんなついてきてくれて、
だからこそ夏の全国大会が終わったら、みんなをコートに入れて大会に出て、バレーボールの感動を味わってもらおうと、そう思い、男子と女子チームに分けたわけです。
いざその手続きをすると、スポーツ少年団としてのルール、有資格者がたくさん必要でjvamrsの登録ルール、大会出場するために必要なことがけっこうありました。
人。組織創り出すための人の大切さが身に沁みました。
親の思い、親の団結もとても重要です。
お金も必要です。
たくさんの苦労を乗り越えてくれている親がいます。
私は、せっかく川崎アタッカーズに入ってくれた子どもたちを活かしたかった。
子どもたちは上手くなりたい、強くなりたいと願って努力をしてくれた。
親はそれを覚悟して支え親同士の付き合いも我慢したり乗り越えて応援してくれた。
全てが整っての、男子チームと女子チームの大会出場であり、先日の県大会優勝です。
男子と女子に分けたのは、ただ勝ちたかっただけではないのです。6年生女子の5人に、バレーボールの素晴らしさを経験させたかった。
それが一番の理由です。